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人生は雨の日ばかりじゃない  Ver.2

弱かったり 運が悪かったり 何も知らないとしても それは何もやらない事のいいわけにはならない そんなzak_mustangプレゼンツなblog

もまいらもちつけ

みんな結構ヒマなのね。うらやましい。


  日本協会に抗議電話120本(Livedoorニュース)

オーストラリア戦の逆転負けから一夜明けた13日、日本協会には日本代表に対する批判や抗議の電話が殺到した。この日だけで約120本あり、ジーコ体制になってから過去最も多かった04年2~3月のW杯アジア1次予選のオマーン、シンガポール戦のころの約2倍だった。
 ほとんどがジーコ監督の采配についての批判だったが、内容は「川口を1人残して攻撃しろ」「1点取ったら全員で守れ」「試合をやめて帰ってこい」といった、感情的なものが多かったという。早朝から電話が鳴りやまず、1人で約3時間の抗議をする人もいて、6人の広報担当は一日中対応に追われた。逆に「頑張れ」といった内容はわずか数件だった。


もまいら負けて悔しいのはわかるが、まあこれでも読んでもちつけ。

[サッカー]第一次大戦中、ドイツ人捕虜が日本人に指導

第一次世界大戦中、捕虜として収容されていた広島で、日本人にサッカーを指導したドイツ人男性がいた。76年に亡くなったフーゴー・クライバーさん(享年82)だ。帰国後設立したクラブチームは、独南部の人口約5000人のバンバイルに85年たった今もある。クラブに伝わる「常にゴールを目指せ」との教えは、日本のサッカーにも引き継がれている。

 クライバーさんは1917(大正6)年、中国・青島での戦いで捕虜となった545人のドイツ兵の一人で、広島県・似島(にのしま)に収容された。大のサッカー好きで、収容所内でもチームを作り、19(同8)年、広島高等師範学校、県師範学校相手にそれぞれ試合をした。5対0、6対0で捕虜チームが圧勝した。その後、技術の高さに驚いた日本側のキャプテンらが、毎週のようにクライバーさんらの元を訪れ、指導を仰いだという。

 帰国後の21年、クライバーさんは故郷に「SV・バンバイル」を設立。本人も選手として活躍し、地域リーグで優勝も果たした。現在、浦和レッズの監督を務め、ドイツ代表として活躍したブッフバルト氏もこのクラブの出身だ。

 クライバーさんは、36年に妻を病気で亡くしてから町を離れた。甥(おい)のエーリッヒ・バルカーさん(83)は、先月あった日本対ドイツの親善試合を見て、クライバーさんの持論を思い出した。「常にゴールを目指せ」。体が大きいドイツを相手に、日本が2点を挙げたシーンに、クラブに受け継がれている言葉を思い出したという。

 バルカーさんは「90年かけ、ドイツと引き分けるまでに成長した日本を見たら、おじさんは大喜びしただろう。W杯では天国から『ゴールを目指せ』と叫びながら、日本を応援しているよ」と話している。


日本には、日露戦争後にロシア人捕虜収容所が作られたように、第一次大戦後には映画「バルトの楽園」の舞台になった坂東捕虜収容所のような収容所がいくつかあった。
立場にかかわらず技術を持った人をリスペクトするというのはいかにも日本人らしい。
この頃日本で捕虜になったロシア人、ドイツ人には親日的になってくれた人が少なくないようだ。何故でしょうね?

正直日豪戦はオレもorz orz orz
でも協会にねじ込むのは筋違い。
勝負は時の運。そういうときもあると。

なに?足りない?そういうときはなあ・・・・


  (ワールドカップ含む)日本と日本人のなごむ話・いい話

  反日マスコミが伝えない親日の話


これでも読んで和んどけ。
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  1. 2006/06/14(水) 22:10:00|
  2. スポーツ
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