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人生は雨の日ばかりじゃない  Ver.2

弱かったり 運が悪かったり 何も知らないとしても それは何もやらない事のいいわけにはならない そんなzak_mustangプレゼンツなblog

明日はわが身

いまさらですが山口母子殺人犯の福田孝行、死刑の可能性が限りなく高くなりましたね。最高裁自身が判決を下さなかったのは残念ですが。


  山口・母子殺害 「無期」破棄差し戻し 最高裁 元少年、死刑の公算(Yahooニュース)

山口県光市で平成11年4月に起きた母子殺人事件で、殺人罪などに問われた当時18歳の元会社員の被告(25)の上告審判決が20日、最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長=退官、上田豊三裁判官代読)であった。第3小法廷は「罪責は誠に重大で、特に斟酌(しんしゃく)すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかない」として、無期懲役を言い渡した2審・広島高裁判決を破棄し、審理を同高裁に差し戻した。


この事件、犯人の異常性(殺害後死姦、乳児殺害)も去ることながら、弁護側の意見陳述も輪を掛けて異常なものだった。
被告弁護人の安田好弘の主張の一部を挙げてみると、

  「強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで 抱きついた」
  (床に叩きつけたことについては触れずに)「あやそうとして、ひもを首に蝶結びにしたら死んでしまった。 」

上記の主張を聞いて「ふむふむなるほど」と思える人間がいるだろうか。馬鹿も休み休み言えと裁判官が一喝しないのが不思議なくらいだ。
こういうのを聞くと、弁護士ってのは「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」存在などではなく、ただ金のためや自分の主義(安田弁護士は死刑廃止論のリーダー的存在だ)のために詭弁を弄して恥じない単なる利己主義者という存在に見える。こういう人には自分が同じ立場に立ったときどうか、という想像力が根本的に欠けてるのだ。他人の痛みを理解できないのだな。

それを裏付ける例がいくつかある。


  ブレイディの教訓 少年よ、人権派に触るな (高山正之の異見自在)

民主党のクリントン政権が生まれて二年目の一九九四年、全米にあふれかえっている銃を規制する法案が成立した。

(中略)面白いのは、この法案の成立にもっとも尽力し、世間を説得したのは生粋の共和党員であり、銃規制に一番反対してきた全米ライフル協会(NRA)の会員だったジム・ブレイディだった。
 彼はレーガン大統領の広報官をしていた八一年、大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーの流れ弾で頭を撃ち抜かれ、下半身麻痺の重傷を負っている。

(中略)元日弁連副会長の岡村勲弁護士(七一)の自宅で、夫人の真苗さん=当時(六三)=が訪れた男に殺された。

(中略)岡村弁護士は犯罪の被害者になって初めて「司法と被害者の距離を実感した」という。
男が捕まって裁判にかけられても、その言い逃れに被害者の岡村弁護士は一言も反論できず、「じっと唇をかんで」黙っているだけだった。「なぜ、ここまで被害者が捨て置かれるのか」
やっと法廷で証言する機会を得た岡村氏は「(犯人を)極刑にしていただきたい」と訴えた。被害者としては当然の思いだった。

(中略)岡村氏は怒り、それは大きな波紋を呼んだ。なぜなら彼は一般人ではなく同じ司法試験を通った身内で、なにより人権に一番うるさい日弁連の元副会長だった。

 これは過去にはなかった例で、それで裁判所も検察庁も考え直した。まず検察庁。求刑の八掛けで無期なら慣例通りだが、あえて控訴した。「身内が被害者の場合、一人殺しても死刑にしようではないか」というわけだ。

 裁判所も思い直した。岡村弁護士の、殺された妻の遺影の法廷持ち込みを認めようじゃないか。

 たとえばこの三月、山口県光市で起きた母子殺害事件の判決公判では、一般市民である夫が殺された二人の遺影を持ち込みたいというのを「被告に心理的な圧迫をかけるから」と禁止していた。日弁連の人権派弁護士の要求に沿ったしきたりによるものだ。

 それが身内の弁護士が被害者になったとたん、コペルニクス的転換を示したわけだ。ブレイディと同じに、ヒトはその痛みが分かれば大きく変わるものである。


というわけで、自分や自分の身内が同じ立場になって初めてわかる、ということもあるのだ。
身内が被害者だと一斉にコペルニクス的転回(笑)をする日本の司法関係者も情けないが。人の命の重さには差があるってことだね。
それでもなお「死刑は反対だ」という人もいるかもしれない。自分の思想を貫く態度はそれはそれで立派だと思うかもしれないが、人間としては尊敬できないな。「殺された身内はあなたにとって何だったの?」と思うもの。

被害者の夫である本村洋さんの言葉、

「自分の命を取られることを初めて実感したときに、自分の犯した罪の重さを知る。それこそ死刑という刑罰の意味だと思う」
「何とか人間の心を取り戻して死刑を受けてほしい。悔い改めてもなお、命を落とさなければ償えない罪がある。その残酷さを知って、犯罪が起こらぬようにする方法を社会は考えなければならない」

オレも同感だ。「人生はやり直しがきく」などというがそれには限度というものがある。罪を悔いてなお命を差し出すことでしか償えない罪があると思うのだ。

もっとも、


ま、しゃーないですわ今更。被害者さんのことですやろ?知ってま。ありゃーちょうしづいてるとボクもね、思うとりました。…でも、記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるんのなら好きにしてやりたいし

知あるもの、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはヅラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君。

犬がある日かわいかった犬と出会った。…そのまま「やっちゃった」…これは罪でしょうか

5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時ば完全究極体で出たい。じゃないと2度目のぎせい者がでるかも
オイラは、一人の弁ちゃんで、最後まで罪が重くて「死」が近くても「信じる」心をもって、行く。そして、勝って修行、出て頭を下げる。そして晴れて「人間」さ。オレの野望は小説家。へへ


などと言うなめたヤツが己の罪を悔いてるとも思えんけど。ていうかカテゴリーB?サイコパス?

たびたび書いているがオレは死刑賛成論者だ。バカは死んでも直らないが。


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テーマ:山口県母子殺害事件 - ジャンル:ニュース

  1. 2006/06/26(月) 00:31:36|
  2. 国内ニュース
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