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人生は雨の日ばかりじゃない  Ver.2

弱かったり 運が悪かったり 何も知らないとしても それは何もやらない事のいいわけにはならない そんなzak_mustangプレゼンツなblog

モヒカンと周回遅れの違和感とその周辺の雑感

先日、miracleさん、黒羊さんとお会いしたときに、モヒカン族の話になって、


 
知らないという黒羊さんにモヒカン族の概念を説明するのに、miracleさんとオレの二人とも「原理原則を重んじ、虚飾、虚礼を廃した物言いをするひと」という言い方をしたのが興味深かった。
とはいうものの、じゃあそれって具体的にどう説明したらよいのかオレもイマイチ自信なかったので調べてみた。
ソースは「インターネットで読んだ」(笑)。

はてなには次のようにある。

  モヒカン族

1. 技術原理主義者。規格至上主義者はその中の一部族である。
2. 新爆語で言うところの「眼鏡くん」
3. ムラ社会文化のナァナァの馴れ合いじゃなくて殺伐とした議論を求む
4. 誤字脱字の指摘は人格否定とは思わない
5. 詭弁と例え話と断言を使いこなす


オレ的には1,3,4はわかるのだが(別に殺伐としてなくてもいいが)、2と5はいまいちピンとこない。
一方、モヒカン宣言の方には共感できる。

  モヒカン宣言

■ 掟

1. どんな努力をしても絶対に覆せない事柄を根拠にするな。「差別」という外道に堕ちる。

■ 宣言

1. 発言者の社会的地位を気にせず、言説だけに注目する
2. 事実のやりとりに、余計な装飾語はいらない
3. 間違いは、きちんと認めて修正すればいい

■ モヒカン族5つの価値

校正
間違いを訂正してくれる人を我々は尊敬して評価します。よけいな裏読みをして「人格攻撃している」とは思いません。
共有
アイディアに校正の機会を与えることが生みの親の義務です。「理由が無いけど、これはこれでいいんだ」というエレガントではない開き直りはくだらない。
ツッコミビリティ
校正、反論しやすいエレガントな言説が価値ある言説です。その為には、冗長にならない範囲で、ソースと推論過程を明確化し他へ示します。
全体最適化
たくさんの人がハッピーになれるエレガントな方法を見つけた時、我々は最もハッピーになります。
差異
お互いの違いを確認することで、我々はつながります。「自分らにとって良いから他の人にも良いはずだ」とは思いません。


これには諸手を挙げて賛成。
オレ思うに、要は「情報の正確さと論理的整合性を至上とする人」てことだと思うのだが、さて。
Wikipediaによれば上記の事柄から、

* 技術的知識に優れ、それらの知識を当然の物として扱いがち
* 情緒的なやりとりよりは情報の交換を重視する。
o 社交辞令は抜かして端的に論点を述べることが望ましいと考える。
o ミスを指摘すること、ミスを指摘されることは悪意的なことや失礼なことではなく、間違った情報を訂正する大切な行為であると考える。
o 間違った情報を発した者には、即座に率直に真摯に訂正する習慣を身につけさせようとする。これは相手を「育てる」ことであると考えている。
* 情報に独自の解釈を加えて伝達するがごとき行為を伝言ゲームと解釈し、一律に嫌悪する。
o 発言内容こそが重要であり、発言した人物は重要ではない。
o 正しい情報に対して尊重する態度を持つべきである
o 発言した人物によって受け取り方が変わるような情報であれば、その情報にはそもそも価値がない。

モヒカン族が情報の交換としての対話を重視するあまり、対話を通じて相手が感情的になる可能性を軽視すること、また間違いは積極的に訂正しようとする習慣はしばしば揉め事につながる。モヒカン族は対話の相手に対して、当たり障りのない言い回しではなく端的な指摘をする。また相手の論に間違いがあると考えればそれを1つ1つ確実に指摘しようとする。

このような執拗な指摘は、非モヒカン的な感性においては論ではなく人格に対する攻撃であると感じられることがある。そのような感性の持ち主がモヒカン族と出会うと、人格を非難する目的がなければもう少し感情を斟酌してくれるであろうと期待し、その期待を裏切られることでモヒカン族の側に悪意を見出す。その結果として感情的な不毛な論争をもたらしがちなのである。


とあるのだが、なんか上記のモヒカン宣言からすると、ずいぶん拡大解釈されたなあ、って感じ。違和感を感じたのは赤字の部分かな。別に折伏しないと思うし。
実際には帰納的な分類だと思うので、評価の元になった集団の振る舞いを知らないからなんとも言えないのだけど、コレを書いた人は「伝達される情報の正確さを重視する面が、情緒、感情を優先する人と会話において衝突する」という面を強調したかったっぽい。

アスペルガー症候群との類似性を指摘してる人もいるけど、アスペルガーが(自身の五感上の)事実のみに着目するという認識障害であるのに対してモヒカンは情報の正確さと整合性を重視するという価値観の問題であって、両者は本質的に違うだろ(断っておくとモヒカンの優越性を示す意図もアスペルガーの方を貶める意図も全くありません、念のため)、と思ったらもう指摘してる人がいた。そりゃそうか。周回遅れだもの。

  「モヒカン族とアスペルガー」って。。。(かへる日記)

で、オレはというと、モヒカン族的殺伐主義らしい。

オレは、モヒカンかどうか、というのは会話でやり取りする情報についての価値観とか評価態度だと思うから、コミュニケーションという面のみで見られるとなんか違和感がある。オレの定義って間違ってる?

こと議論の場においてはモヒカン的な態度は非常に大事だと思うしね。議論の場にモヒカン的でない(ムラ的な?)態度で臨まれるとウザイことこの上ないし。
逆に議論でもなんでもない普通の会話にモヒカン的なそれを持ち込むとそれはそれでウザいかもと思うので、それって単にTPOの問題だろ、と切り捨ててみたり。

オレ的には、会話というのをプロトコル(修辞)と送信データ(情報)というアナロジーで捉えている部分があるので、対象となる個体または集団に対応したプロトコル使い分ければいいんじゃね、と思っている。もちろんデータの正確さは最重要。
例えばモヒカン族的なやりとりって、無手順で素データを(厳密なエラー訂正付きで)だだだーっと送るようなもんだ。
でも、そうでない会話にはそれぞれ送信前後や送信中に一定の手順があって、場合によってはデータすら関数化したり暗号化したり圧縮したり冗長化したり、とかめんどくさい手続きがあるのが普通。その結果正しく復号出来なかったりね(笑)。
でも、そんなプロトコル解析技術がコミュニケーションスキルのひとつだとは思っている。
もちろん常に一定のプロトコルなどは存在せず、そのときの話題や相手の感情に対する想像力というのを働かせた上で一定の振れ幅の元で機能するという前提においてだけどね。
モヒカンかどうかに関わらず、ごく単純に、その場で適切なプロトコルを用いないヤツはイタいと認識されると思うのだ。

人付き合いの態度という点においてはむしろキャラミル研究所のツキアイゲノム判別テストあたりの評価の方が当てになるかも(笑)。
ちなみにオレは『Type8「岩を砕く波のような冬の稲妻」』wwwww 演歌か!


【追記】

ツキアイゲノム2なんてのになってたのねorz
こっちの結果は、

オモテゲノム:スマート
ウラゲノム:ピュアインスペクターフィーリング
だそうな。以前の結果からするとクールになりそうな感じだけどなぜかスマート。でも以前のを再度やってみるとやっぱりType-8。
しかしインスペクターでフィーリングってどういうことだよ。あてになんのかコレ(笑)。
  1. 2007/08/18(土) 22:42:32|
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