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人生は雨の日ばかりじゃない  Ver.2

弱かったり 運が悪かったり 何も知らないとしても それは何もやらない事のいいわけにはならない そんなzak_mustangプレゼンツなblog

だからこっち見んなって

ていうか、見るな。
 
  嫌いな国、模範とする国どちらも日本(中央日報)


 

最も好きな国 米国16% 豪州12% スイス11%
最も嫌いな国 日本38% 米国14% 中国14%
最も模範とすべき国 日本27% 米国18% スイス7%


相変わらずのストーカーっ振りだな。来年はまた「友情年」らしいが、どこが友情なんだか。


  朝鮮通信使(Wikipedia)

朝鮮通信使は日本に関し、事実であると否とを問わずさまざまな事柄を見下す傾向が強く、日本国内の道中や文化交流の際にも周囲や日本の文人に対して著しく無礼な態度をとることが多かったようである。無礼の例としては、供された食事に難癖をつける、夜具を盗むなどがあり、警護に当たる対馬藩士が侮辱を受けることはしばしばだったという。このような事情から一般町人には嫌われ、町人と喧嘩沙汰になることも多々あり、横柄な態度の割に非常に弱く簡単に叩きのめされたという。喧嘩が発生すると侍は本来警護の者として制止すべき立場であるにもかかわらず、止めるふりすらしなかったといい、道中の内実がいかなるものであったかが伺える。

その一方、基本的に日本人を「倭人」として見下しながらも、古く室町には平仮名、片仮名と言った固有文字の存在に、江戸時代には、京都、大阪、江戸といった都市の絢爛豪華さ、そして乞食が食物ではなく銭を欲しがるような貨幣経済の発達に対して驚きの声を上げた(李氏朝鮮では、その末期においても都市部で中国の銅銭が流通していた程度であり、最後まで貨幣経済と呼ぶに足るものが成立せず、物々交換が主であったため)
(中略)
大韓民国の歴史教育においては、朝鮮通信使を以下のように教えている。

壬辰倭乱をきっかけに朝鮮と日本の外交関係は断絶していた。したがって、日本は経済的に困難に陥った。ために戦乱後成立した日本の徳川幕府は、先進文物を受け入れるために、対馬島主をとおして交渉を許可するように朝鮮に懇請した。朝鮮では日本が犯した誤りを恨みながらも、建国以来の交隣政策の原則に照らし、制限された範囲内での交渉を許した(1609年、己酉約条)。そうして富山浦に再び倭館が設置され、そこで日本人は米、木綿、人参などを求めていった。

また、日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し、朝鮮では通信使を派遣したが、その一行はおよそ400余人になり、 国賓として待遇を受けた。日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって、通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を日本に伝播する役割も果たした。



  日東壮遊歌(Wikipedia)

惜しんで余りあることは、この豊かな金城湯池が、倭人の所有するところとなり、帝だ天皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである、この犬にも等しい輩を皆ことごとく掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳をもって礼節の国にしたいものだ。


こうですか?よくかわりません >_<

テーマ:中朝韓ニュース - ジャンル:ニュース

  1. 2007/09/23(日) 09:29:05|
  2. 朝鮮半島ニュース
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