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人生は雨の日ばかりじゃない  Ver.2

弱かったり 運が悪かったり 何も知らないとしても それは何もやらない事のいいわけにはならない そんなzak_mustangプレゼンツなblog

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中に誰もいませんよ

でっかいお世話だとは思うけど。

  虚像も自分(404 Blog Not Found)

ぼーくらはちいさなぞぉー♪  ・・・・・それは小象。


 

  私しか知らない自分  | 私もあなたも知っている自分
--------------------------
私もあなたも知らない自分 |  あなたしか知らない自分


そういやこんな図見たことある。そうか、ジョハリの窓っていうのか(はてブより)。
上の図をWikipedeiaのジョハリの窓にあてはめると、

開放の窓             | 盲点の窓
「公開された自己 」      | 「自分は気がついていないものの、
                  | 他人からは見られている自己 」
(私もあなたも知っている自分)| ( あなたしか知らない自分)
-----------------------------
秘密の窓            | 未知の窓
「隠された自己」        | 「誰からもまだ知られていない自己」
(私しか知らない自分)     | (私もあなたも知らない自分)


こんな感じ。開放の窓、秘密の窓は観測者が自分であるから見えるとして、盲点の窓については他者を観察、あるいは推測するしかない。未知の窓についてはまあ誰も見えないのだからどうしようもないのだけども、ここに「本当の自分」が埋まっているって思ってる人は結構いるみたい。

他人が知っているのは本当の自分とはかけ離れた虚像。そんな話はときどき聞く。
昔、Cindi Lauperのライナーノーツで読んだ話とか、山崎はるかさんのコラムで読んだ話とか。


  星の数ほど - 有名になるということ - (徒然はるさん)

有名人の放つ言葉は たまに 理解不能なことがある。
おれも おもわず 無言になった。
「わかんない?...この街の、星の数ほどの・・・この明かりのほとんどがさ・・・あたしの名前全部までは知らないまでも、カオとか声とかは知ってるんだよー・・・」
「確かにそりゃ そうだな、うん。」
「はるかさん...不思議だとおもわないー? この あたしがだよー!」
「・・・・・」
「今のあたしって あたしじゃないのが 勝手に この街・のみこんじゃってるのよねー・・・」
「・・・・・」
「その中に あたしも とけちゃってるわー」

そう笑った彼女は ぼろぼろ 涙をこぼしていた。
ドラマで見る彼女の涙と異なり ほんとうに「不安からくる涙」に見えた。


まあ、そこまでいかなくても、「周りはわかっちゃいねーな」てな人はそれなりにいるだろう。
dankogai氏は言う。

実際の自分って、なんだろう?あなたは実際の自分を知っているのだろうか?
私は、知らない。いや、知らないことを知っている。


オレも知らない。
ていうか「本当の自分、実際の自分なんてものはない」と思っている。
オレは自分像には三つあると思っている。

・こうありたい自分(願望の自分像)
・自分が観測した自分(観測の自分像)
・他者から見られている姿を鏡として自分が認知する自分(鏡像の自分像)

三つの像は(自分による)切り口の異なる単なる像だ。強いて言うならそこにただ「ある」のが「本当の自分」なのだが、悲しいかな観測・認知することしかできない。人は色眼鏡なしに何も見ることはできないから。
いや、心理学や哲学的には別の言い方があるのかもしれないけどそこは不勉強なので勘弁な。
そして、たいていの人は三つの像を、

  願望の自分像>観測の自分像>鏡像の自分像

という不等号で結ぶんじゃないかと思う。まあ当然というか。
こうありたい自分というのは(自分が思う)よき自分の姿であるわけだし、他人よりは自分の方が自分のことをわかっていると人は思っている。これが人としては割と認知しやすい形なのだと思う。
だもんでこの3つが自分の中で、

  願望の自分像>>>>>観測の自分像≧鏡像の自分像

だったり、

  願望の自分像=観測の自分像>>>>>鏡像の自分像

だったり、

  鏡像の自分像>>>>>願望の自分像>観測の自分像

だったりして(他にもいろんな形があるだろうけど)上手く位置関係を把握できない状態になったりすると、ときとして自分の認知可能な範囲を超えて壊れてしまったり、あるいは周囲との人間関係を破壊してしまったりするんじゃなかろうか。
壊れるまでいかなくともその認知に伴うストレスってのは少なからずあるだろうしね。

でも言ってしまえば、どの像もそれは単なる(自分の)切り口に過ぎないわけで。
上記の各像の関係を認知可能な形に修正していくという意味で、dankogai氏の言うところの、あまたの「あなたしか知らない自分」を「私もあなたも知っている自分」として取り込んでいくサイクルという考え方は正しいと思う。三つの像の形は相互に影響を受けて常に変化していくものだから。

それで必ずしもうまくいかないことはもちろんわかっている。
心が壊れて認知のありよう自体が変わってしまった人は一定の方向にしか切り取れなくなっているから。
逆にそうでない場合は何とかなることも多いんだけどね。
どのみち、人は誰も自分の心の檻からは出られねーからな。どこにいても。何を書いても。

なんて書く間に本人復活されてたよ。でっかいお世話がいい場合もあるってことで。
まあ、よかったね。

  なんて思われようが負けないやる夫($ dropdb 人生)
  1. 2008/01/15(火) 23:48:30|
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