たしかにbrowsing in the Webとbrowsing in a bookstoreはだいぶ違うよね。
ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話(ホームページを作る人のネタ帳) オレは子供の頃から本屋にいりびたってて、ときには文庫本立ち読みするようなイヤなガキだったので、この感覚はなんかよくわかる気がするなあ。
確かにWebではだいたい何ごとも「誰々ご推奨」て感じに予備知識込みで紹介されてるわけで。いやそれはそれでありがたいのだが。
でもレコード屋(CD屋?)なんかでもそうなのだけど、ジャケ買いというかちょっと気になって手にとって、お、なんだかこれ面白そう、っていう、そういう感覚がある。
感覚。
クオリアっていうのか。そういうのがいいんだよね。
そういうものが他人に値踏みされずに素の状態で置かれてるっていうのは。
件のエントリの妹さんにはそういう感覚のコペルニクス的転回があったんじゃないのかな。
そういうのは本やCDとかに限らず、服でも雑貨でも何でもそうなのかもしれないけど。
例えば旅行なんかでもガイドブックで目的地や観るものを決めてきっちり効率的に周るのはそれはそれでいい。けれども、大まかに行くところを決めてあとは現地の見知らぬ路地なんかをブラブラ散策するのもいろいろ発見があって楽しい。
ていうかWebだけってことは、ガイドブックだけ読んで通販でお土産買って、行った気になるようなもんか。
多様な情報を比較し選り分ける効率性という意味ではWebに軍配が上がるわけだけど、何事も予備知識が無い方が出会ったときの喜びも大きい。
カギは「自分」の感覚、あと必然性と偶然性にあると思う。
Webでも波乗りで偶然いいサイトとか映像とか見つけたときは嬉しいしね。
やはり自分自身の頭と手で発見し選び取る満足感みたいなものなのかな。
オレが秋葉原を徘徊するのも似たような感覚だと思うし。
オラわくわくするぞ。
Blogを書いててWeb上の話題だけで書いてるとなんかつまんなくなってくる。書いてても読み直しても。ともするとこんな感じに1クリック圏外の出来事ばかりを書いてしまいがちなんだけど。
その理由の一つに「Web上のことは原則的に誰もが知っている」ということがあると思うんだよね。オレが書かなくても誰かが書いてるだろみたいな。同じ話題ならオレより上手く書く人なんていくらでもいるしね。
やはりそこに「自分」が選び取る「何か」がないとつまらなくなってしまうんだろうな。
まあそれで発見し興味を持ったことについてはまたWebで調べたりすればいいわけで。
ある意味車の両輪だよね。両方が上手く回ると実に楽しいと思う。
そんなせいか、オレ自身は今のところWebで本やCDを買うことはほとんど無いな。Web上でしか入手できないものは別として。
それから本に限っては、パラパラとめくって中身を立ち読みできる、あのパラパラがいいんだよね。
PCを使ってて紙のメディアに勝てないよな、と思うのはあの一覧性。
パラパラとめくって斜め読みしつつ、他の本とかと較べてみたりとかはPCではマネ出来ない芸当だなと思うね。
- 2008/02/27(水) 01:11:32|
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