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人生は雨の日ばかりじゃない  Ver.2

弱かったり 運が悪かったり 何も知らないとしても それは何もやらない事のいいわけにはならない そんなzak_mustangプレゼンツなblog

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それでも記録は残るよ

モモーイに全オレが泣いた。

  2008年6月8日千代田区外神田の中央通りで起きた事件について(モモブロ)


 

9日の朝、お花をお供えに行きました。

秋葉原の駅に着くと、雨が降りそうな天気でした。
電気街口を出ると、テレビ局のマークがついた車が何台も車道に列になっているのが見えました。
事件が起こされたという交差点の近くまで行くと、その風景はいつもと違いました。
交差点の近くには、沢山の似た雰囲気の人がいました。
腕章や、持っている道具などから、報道関係の人のようです。
その人垣の間から、商店街の方が用意したであろうテントの下に、献花台が作ってあるのが見えました。
それを見つけると、現実が重く圧し掛かってきました。
ここはいつもの中央通りではなく、事件の現場になってしまったんだということを肌で感じました。

わたしは献花台の近くまで行くと「すみません」と声をかけて道を開けてもらおうとしました。
そうすると、次々に声を掛けてくる人に取り囲まれました。
「被害者の方の関係者ですか」「亡くなった方のお知り合いですか」……。
同じことを何度も聞かれましたが、わたしはなるべくご迷惑にならないように、早くお花をお供えすることしか考えていなかったので、
何も言わず献花台の前でお花の包装を解きました。すると、一斉にすごい数のフラッシュが光りました。
わたしは「写真を撮らないでください」とお願いしました。
しかし、わたしがお花を置くと、また光ります。もういちど「写真を撮るのをやめてください」と言いました。
その後も拝むたびにフラッシュが光るので、何度も「写真を撮らないでください」と言いました。
最後のほうはけっこう大きな声になってしまっていたと思います。
わたしは心をこめて拝ませていただきたかったのです。
でも、チカチカと光をたいてじゃまする人がいます。
手を合わせながら、何度も何度も「やめてください」と言ううちに、涙が出てきました。
わたしは、言うのをやめました。
「こんなに悲しいことがあって、わたしがせめて拝ませていただきたくても、させてもらえないのか。
わたしは本当になにもできない。どうしたらいいのだろうか。」と思いました。
短く拝み、去ろうとしましたが、やっぱり心残りがあり、もう一度振り返り、心から深く礼をして手を合わさせていただきました。
その時も、カメラを光らせる人がいましたが、もう仕方ないと思いました。
言葉では表現できない、今まで感じたことのない、すごく悲しい気持ちになりました。
とてもとても悲しかったです。
その後も、追いかけてきたり、名乗りもせず「遺族の方ですか」などと何人にも声を掛けられました。
「違います」と言うと去っていきます。ものすごくものすごく嫌な気持ちでした。


リンク先でぜひ全文を読んで欲しい。モモーイの「アキバ愛」と悲痛な気持ちが伝わってくる。
ただ、報道のプロ(笑)の人たちにとっては、これすらも「被写体」として消費するだけの存在だというだけのこと。

先般novさんが、即野次馬と化す観衆のことを取り上げてたけど、


  当事者じゃなくなればとたんに観客になる人々ってなんだかなあ(novtan別館)

仕方ないのかも知れないけど。不謹慎というつもりはないけれども。戦場カメラマンが「そんなすごい写真が撮れるなんて、お前はずいぶん人を見殺しにしたんだな」という汚名を着ながらも報道の使命を果たす精神とはかけ離れているようにも思えます。

女性によると、現場で直接写真を撮影した男性が「捕まったぞ」と叫ぶと、周囲には携帯電話を差し出し、「コピー」を求める人だかりができたという。
秋葉原通り魔:容疑者の逮捕・連行を携帯で撮影 - 毎日jp(毎日新聞)

ほとんど記念撮影のノリ。もっとも、既存のメディアも大した違いはないようだけどね。


合わせ鏡と思ったなあ。もともと人間なんてそんな上等なもんじゃないってことなんじゃないだろうか。
マスゴミの愚行は今に始まったことではないし、こうやって加熱した報道が模倣犯を生んだとしてもいつものようにほっかむりなんだろうし。この国民にこのマスゴミってとこか。

ただ、例え不謹慎であってもこうして残る「記録」自体は貴重なものになると思う。

以前「東京大空襲」の写真を撮った石川光陽氏のドラマを見た際に、不謹慎だとなじられつつも空襲の現場を撮り続け、戦後GHQからのネガ提出命令にも屈せず写真を守り通した信念に感じ入るものがあった。

  石川光陽(wikipedia)

石川 光陽(いしかわ こうよう、本名:石川 武雄)(1904年(明治37年) - 1989年(昭和64年・平成元年))は、警視庁に所属していた警察官・写真家である。

警視総監直々の命令を受けて東京大空襲の惨状などを撮影したことで知られる。
(中略)

1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲の際も決死の覚悟で撮影に出ようとしたところ、[1]激しい空襲の中、東京大空襲の惨状を33枚の写真に残した。しかしあまりの悲惨さに、死体に対してカメラを向ける気にはなかなかなれなかったという。この後、5月25日の山の手空襲まで石川は記録写真を撮影した。石川が撮影した空襲の記録写真は、1942年のドゥーリトル隊による東京初空襲(ドーリットル空襲)でのものも含め600枚以上にのぼる。

戦時中は、一般市民が空襲の被災現場を写真に撮影することは事実上禁じられていた[2]ため、石川が撮影した一連の写真は、空襲の被害を伝える貴重な映像となった。

敗戦を迎え、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領が始まる。GHQは日本側の空襲被害状況の公式記録が全く存在しない事を知ったが、石川だけが唯一空襲の状況を撮影していた事実を間もなく突き止める。石川は、GHQから空襲被害状況を撮影したネガを提出せよという命令を受けるが、頑なにこの命令を拒否する。


報道のプロ(笑)の愚挙や観衆の野次馬根性は当事者にとっては許せるものではないし、こうした石川氏の信念の足元にすらも及ばないどころか比較するだけ失礼だと思うけど、それでも「記録」は残る。

ただそのことだけに意味がある。恣意的に用いられないよう注意する必要はあるけども。


【追記】
もういいみたい。さっすが報道のプロ(笑)。

マスコミの皆様 献花台はもういいのですか?(アキバblog)

事件発生から3日目の11日(水)は、献花台からちょっと離れた場所にマスコミがいたものの、献花台を同時に撮影していたのはせいぜい1人~3人くらい。マスコミの皆様、献花台はもういいのですか?

  1. 2008/06/12(木) 00:14:26|
  2. 秋葉原
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